父の急逝で農業を継ぐことに|ゼロから始めた米作りと通い農業の現実

当ページのリンクには広告が含まれています。
40代で農業を継いだ話

 3年前の6月、父が心不全で急逝しました。
以前から体調が思わしくなく、「今年は田んぼの手伝いをしなきゃな…」と考えていた矢先の事でした。
米作りは父が中心で行っていて、僕は人手がいるときだけ手伝う立場。
作業の全体像や流れを教わる機会はなく、残された田んぼを継ぐこことになりました。

今回はそのことについて書きます。

目次

父の急死では始まった、通い農業の暮らし

過去の失敗①
中期除草剤を散布しすぎて苗が枯れた…
3年間の失敗①
中期除草剤を散布しすぎて苗が枯れた…

2022年5月、例年のように田植えをしました。
ただいつもと大きく違っていたのは父の姿がないこと。

その頃から父は体調が良くなかったようで、僕もなんとなく気にしていました。

僕はいつも苗を運ぶ役で父が田植機の運転をしていました。
田植機に乗る自信が無かったため会社の先輩にお願いして田植機を操作してもらい
無事、田植えを終えることが出来ました。

ホッとしたのもつかの間、その1ヶ月後の6月に父は心不全で急逝しました。

まだ苗を植えて1ヶ月しか経っていないのに、これからどうすれば…
そう思って唖然としたのを覚えています。

僕には兄が一人いますが、性格は内向的で、体を使う仕事はあまり得意ではありません。
そして、農業というのは意外と一人で黙々ではなく、人との関わりが欠かせない仕事です。

地域の農家同士で共同作業をしたり、隣の田んぼの人と声を情報交換も必要です。
体力だけでなく、コミュニケーション力も必要とされる場面が多くあります。

実家と職場の距離が近かったこともあり、自然と「僕がやるしかない」
という流れになっていきました。

手伝ってはいたけど継いだけどさっぱりやることが分からなかった

3年間の失敗②
もう少しで稲刈りというところで雨風にやられ倒伏
3年間の失敗②
もう少しで稲刈りというところで雨風にやられ倒伏

実家には20年ほど住んでいましたが、父が何をどうしているのか正直わかってませんでした。
農作業って時期や季節、天候によってやることが変わるんです。
その内容を父はいちいち教えてくれなかったし、ぼくもそれほど興味はありませんでした。
毎年田植えをしたら秋には稲刈りをする。それくらいに考えていました。

高い授業料を払った失敗から学んだ農業

倒伏して刈残しがあって白鳥さんのご飯に笑
倒伏して刈残しがあって白鳥さんのご飯に笑

農業を継いだ翌年の春、畦(あぜ)塗り作業を自分でやりました。
ただ、それまで少し移動するくらいしか乗ったことがなかったので
操作には まったく慣れていませんでした。
作業のスピードの落とす方法がわからず、PTO(作業機に力を伝えるところ)を
壊してしまいました。 修理費はびっくりの60万円…これが最初の農業の授業料でした。

さらに父は晩年体が辛かったのか田んぼの管理が雑になっていたようで、水がうまくたまらない。
雑草が多いといった課題も見えてきました。

そんな中で役に立ったのが本業の土木の知識です。
水が持たないのは土が細かく耕されておらず地面に滲みてしまうのでは無いか。
雑草が多いのは草の種を地面深くに潜せていないからじゃないか。
法面に除草剤を散布しているから土が痩せて水漏れを起こしてるのではないか。

など様々な考察をしました。 そこで、翌春は耕うん、代かきを丁寧に
時間をかけて土を起こすようにしてみました。
その結果、水持ちが良くなり、雑草もかなり抑えられるようになりました。
最初は様々な失敗を繰り返しましたが、経験を積みながら自分のやり方を
少しずつ見つけていこうと考えています。

通い農業で母の暮らしも少しだけ助けたい

春の田んぼの様子
春の田んぼの様子

父が亡くなってから、実家は母が一人になりました。 とはいえ、母は昔から
「人に気を使わせたくない」タイプで、僕が心配しても「大丈夫だわね!」(=大丈夫だよ)
と笑ってごまかすような人なんです。
だから、農作業を理由にちょくちょく実家に行くようになったのは、
僕にとっても都合がよかったと思っています。 「田んぼのために来てる」という理由があると、
母に気を遣わせすぎずに済むんですよね。

ちょうど子どもも大学生になって、家の中もだいぶ落ち着いてきたタイミング。
実家との行き来が負担になりすぎず、通い農業は自分にとって現実的な選択肢になりました。
田んぼの状態はまだまだ大変です。 土が均平じゃなかったり、
特別栽培米に取り組んでいる地域なので 除草剤の散布量や時期が限られていたり…
なかなか思い通りにはいきません。
でも、「去年より少しマシになったかな」と思える瞬間もあるし、
作業が終わってから母と一緒に夕飯を食べたり、晩酌をしたりする時間も楽しみのひとつです(笑)

守るだけじゃなく、少しずつ広げていきたい気持ち

2025年も穂が出始めました
2025年も穂が出始めました。

農業を始めたばかりの頃は、自分の田んぼを維持するだけで精一杯でした。
毎日が試行錯誤で、余裕なんて全然なかったです。でも、少しずつ慣れてきた今は、
「せっかく田んぼがあるなら、できるだけ生かしたいな」と思うようになってきました。

荒れてしまった田んぼは元に戻すのが本当に大変だし、
誰もやらなくなった土地が増えていくのは、生まれ育った場所が寂れていくようで。

だからといって、無理に背伸びをするつもりはないけど、
自分なりのペースで、守るだけじゃなく、ちょっとずつ広げていけたらいいなと思っています。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次